【御礼 平成23年、外観の町家造りへの改築、茶の間の建築当時への復原工事が無事に終了しました。】
当矢部家(常盤園)の建物は、明治10年頃建築の典型的な町家造りの建物です。通称「うなぎの寝床」と呼ばれる城下町ならではの細長い区割りの敷地に建っています。欅(ケヤキ)の大黒柱に、同じく欅の梁(はり)、黒く煤けた壁、細長い通路「土間」の主屋。この後に、仕上工場「仕立場(したてば)」そして製茶工場「茶小屋(ちゃごや)」が続いています。
ですが、昭和40年代に店舗部分を解体、新築、そして、20年ほど前に茶の間を改装していました。 今回これを、城下町の街並みに調和させることと、村上の町家の構造や文化を知って頂きたいという趣旨から復原することとしました。棟梁は、(有)石栗工務店代表取締役 石栗幸作氏、設計は小池建築事務所代表 小池昭雄氏に依頼しました。石栗社長は、村上の町家の構造や工法に詳しい数少ない町大工であり、小池先生におかれても町家建築学の第一人者です。
復原に際して、茶の間は、構造を全くいじっていませんでしたので、現代風のボード張りの部分やアルミサッシ等の 解体、撤去と比較的順調に施工が進みました。しかし、店舗外観については、前出、「ミセ」と呼ばれる道路から奥行き14尺(約4m20cm)の当時の部屋が丸々解体され、そこに新しい建物が建築されていました。今回これを、構造自体をいじらずに外観のみを復元することに決定し設計をすすめてもらいましたが、新築当時流行した看板建築という高さが約8mもある建物であったため、屋根に関しては一旦撤去し、既存の勾配に接いで復元するという難工事となりました。私共も、一体どのようになるかと心配しておりましたが、さすがそこは石栗棟梁と、小池先生。完璧に作業を終了して頂きました。その他、格子の寸法や下屋の長さ、下見の張り方等、石栗棟梁の若い頃の記憶、明治時代の建築様式や建物の構造からみた作業可能性等多角的見地に基づき施工して頂き、見事に仕上がっています。
是非、機会がありましたら、近代と現代の町大工の建築の妙をご覧頂ければと思っております。
ですが、昭和40年代に店舗部分を解体、新築、そして、20年ほど前に茶の間を改装していました。 今回これを、城下町の街並みに調和させることと、村上の町家の構造や文化を知って頂きたいという趣旨から復原することとしました。棟梁は、(有)石栗工務店代表取締役 石栗幸作氏、設計は小池建築事務所代表 小池昭雄氏に依頼しました。石栗社長は、村上の町家の構造や工法に詳しい数少ない町大工であり、小池先生におかれても町家建築学の第一人者です。
復原に際して、茶の間は、構造を全くいじっていませんでしたので、現代風のボード張りの部分やアルミサッシ等の 解体、撤去と比較的順調に施工が進みました。しかし、店舗外観については、前出、「ミセ」と呼ばれる道路から奥行き14尺(約4m20cm)の当時の部屋が丸々解体され、そこに新しい建物が建築されていました。今回これを、構造自体をいじらずに外観のみを復元することに決定し設計をすすめてもらいましたが、新築当時流行した看板建築という高さが約8mもある建物であったため、屋根に関しては一旦撤去し、既存の勾配に接いで復元するという難工事となりました。私共も、一体どのようになるかと心配しておりましたが、さすがそこは石栗棟梁と、小池先生。完璧に作業を終了して頂きました。その他、格子の寸法や下屋の長さ、下見の張り方等、石栗棟梁の若い頃の記憶、明治時代の建築様式や建物の構造からみた作業可能性等多角的見地に基づき施工して頂き、見事に仕上がっています。
是非、機会がありましたら、近代と現代の町大工の建築の妙をご覧頂ければと思っております。
【村上茶の沿革】
村上茶の歴史は古く、江戸時代元和(げんな)年間(1615~1623)にさかのぼります。当時の村上領主堀丹後守直竒(ほりたんごのかみなおより)が地場産業振興の為、城州宇治より茶師を呼び寄せ、茶の実を購入して村上掘家江戸屋敷で生育させました。そして、これを国元村上の郊外に移植したのが始まりとされています。この時、村上町大年寄徳光屋覺左衛門(とくみつやかくざえもん)が茶の栽培に力を注ぎ、茶畑の規模拡大に努めて村上全域に広まっていきました。
その後、先人達の努力により栽培・製茶とも漸次改良され、面積は明治時代に400町歩、近郷近在を合わせると650町歩にもなり、製造された緑茶や紅茶、磚茶(だんちゃ)はニューヨークやウラジオストクにも輸出されました。
※1町歩…約1ヘクタール
その後、先人達の努力により栽培・製茶とも漸次改良され、面積は明治時代に400町歩、近郷近在を合わせると650町歩にもなり、製造された緑茶や紅茶、磚茶(だんちゃ)はニューヨークやウラジオストクにも輸出されました。
※1町歩…約1ヘクタール

昭和初期の茶摘み風景

昭和初期の茶小屋風景
【弊園の沿革】

弊園は、天保十年(1839)矢部喜四郎創業以来、村上の茶業に従事してきました。戦中、戦後に茶畑面積を半減させましたが、その後、農業用ハウスや露地栽培による優良品種の作付けに成功。現在は3ヘクタールにまで面積を回復し、今後も増やしていく予定です。販売は、その自園とその他契約栽培及び仕入れによる原料を自社再製工場において、味、香りを最大限に引き出して精製し、いつでもお客様においしいお茶がお届けできる様、努力しております。
店名 |
常盤園 |
会社名 |
有限会社 お茶の常盤園 |
代表取締役 |
|
事業内容 |
お茶の栽培・製造・販売 |
住所 |
新潟県村上市肴町3-30 |
電話番号 |
0254-52-2024 |
FAX番号 |
0254-52-2017 |
営業時間 |
平日、土曜日 午前8時半~午後6時半 日曜日、祝日 午前9時~午後5時 |
メール |
tea-tokiwaen@circus.ocn.ne.jp ※メールでのお問合せにつきましては、ご返信にお時間がかかる場合がございます。お急ぎのお客様は、お電話にてお問合せ下さい。 また、ご質問の内容によっては、ご返信できない場合がございますので、予めご了承下さい。 |
定休日 |
7月~8月の間は第4日曜日、9月~4月の間第2・第4日曜日、元日 |
駐車場 |
あり |
アクセス |
日本海東北自動車道村上瀬波温泉IC~車約5分 JR村上駅から車2分 |
HP運営責任者 |
矢部 智弘 |
文責 |
矢部 智弘 |
アクセス
新潟県村上市肴町3-30
村上駅より徒歩10分
0254-52-2024